詩編119編73から80節(ヨード)についての注解
詩編119編73から80節(ヨード)についての注解
★印は私の注解です。
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★エホバの地上の代表者が立てられる
73. あなたのみ手がわたしを造り,
次いで,わたしを固く定めました。
わたしに理解させてください。
あなたのおきてを学ぶために。
74. あなたを恐れるのは,わたしを見て歓ぶ者たちです。
わたしはあなたのみ言葉を待ち望んだからです。
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★その代表者は苦しみを忍耐する
75. エホバよ,わたしはよく知っています。
あなたの司法上の定めが義であり,
あなたが忠実さをもってわたしを苦しみに遭わされたことを。
76. あなたの僕に対するそのみことばにしたがって,
あなたの愛ある親切が,どうか,
わたしを慰めるものとなりますように。
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★代表者には憐れみがかけられ
77. わたしが生きつづけるために,
あなたの憐れみがわたしのもとに来るように。
あなたの律法にわたしは愛着を感じているからです。
★敵には恥が臨む
78. せん越な者たちが恥をかくように。
彼らはいわれもなくわたしを惑わしたからです。
しかしわたしは,あなたの命令を思いに留めます。
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★支持者がだれもいないこともある
79. あなたを恐れる者たちがわたしのもとに引き返すように。
また,あなたの諭しを知る者たちが。
★そのようにして、エホバの代表者は精錬され、潔白を証明する。
80. わたしの心があなたの規定のうちにあって,
とがのないものであるように。
わたしが恥をかくことのないためです。
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(注解)
この詩編は、恐らく王子の頃のヒゼキヤが作ったものであると言われています。いずれにしても、王宮のあるエルサレムで、君たちに迫害され得る若い人、多分、忠実な王子の一人には違いありません。(119:23, 99-100, 46)。
当時、エルサレムは、エホバ神の崇拝の中心地でした。そこを治める王は、エホバの王座に座しているとみなされました。(歴代第一28:5、29:23)。つまり、その王は、エホバの王権の地上の代表者だったのです。
この詩編作者も、王子で、かつ将来の王となる有力な候補であれば、それにふさわしい教育を受けていたはずです。そして、そこにはエホバ神の導きがあったと思われます。ゆえに、詩編作者は「あなた(エホバ)のみ手がわたしを造り、・・固く定めた」と言い得たのです。【73節】
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そのように、エホバの導きに従順に従い、教えられたエホバの地上の代表者(第一王子も王家を代表する人物。例えば、日本の皇室の皇太子と同じ)には、エホバの霊が働きます。(サムエル第二23:2)。そして、エホバを恐れる者であれば、この詩編にもあるとおり、そのような指導者を「見て歓ぶ者たち」となるでしょう。
ここから分かる点として、エホバが立てた地上の代表者に対する私たちの態度は、私たちのエホバへの専心の思いを反映するということです。私たちがエホバに忠実な者であるとみなしていただくには、その立てられた代表者にも忠実でなければなりません。(マタイ25:45)。
ただし、ダビデ王朝の歴代の王たちの中には、不忠実な王もいました。そのような王に盲目的に従うべきではなく、むしろ、預言者たちはそのような王を戒めました。(サムエル第二12:1-12、エレミヤ38:14-18)。ですから、ただエホバが立てた代表者であるというだけで、何でも盲目的に従うのは間違いです。(ガラテア2:11-14)。
とはいえ、そのような不忠実な王であっても、やはり現状、エホバが立てておられる代表者であるゆえに、敬意は払わなければなりません。つまり、その不義な行ないには倣うべきではありませんが、一方で、エホバがある目的をもって依然として立てておられるそのような代表者をせん越に退けても、また見下すようなことがあってもなりません。(サムエル第一24:6、ヨハネ11:51-52、マタイ23:1-4)。
そのような場合、霊的バランスをとるのがとても難しく感じるかもしれません。しかし、エホバはそのような忠実な人を顧み、そのような不忠実な代表者の下でどのように思慮深く行動すべきかをお示しになるでしょう。(列王第一18:3-4の文脈を参照)。
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さて、そのようなエホバの地上の代表者は必ず試練を経験し、精錬されます。その試練の意義については、先回の「65から72(テート)についての注解」で詳しく説明しましたので、そちらをご参照ください。
いずれにしても、詩編作者と同じように、「わたしはよく知っています。・・・あなたが忠実さをもってわたしを苦しみに遭わされたことを」と言えるようでありましょう。そうすれば、その試練を克服する時に、私たちは益を得ることができます。そして、エホバを地上で代表して、世に対して伝道するにふさわしい者とされるのです。【75-76節】
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そのようにして、義人が試練を克服する時、起きることはいつも決まっています。義人には「憐れみ」、是認、祝福が与えられ、一方、敵対者は「恥」、敗北、挫折のうちに悲嘆することでしょう。【77-78節】
しかし、その結末に至るまではかなりの行程があり、中には、自分を支えてくれる(人間の)支持者が一人もいない、というような孤立した状態で、ただひたすら忍耐しなければならない時期もあります。(ヨブ6:15、詩編38:11、列王第一19:10、エレミヤ15:17、マルコ14:50)。この詩編作者もそうだったようです。しかし、そのようにして一時的に離れていった仲間たちもやがて「引き返す」ようになるでしょう。希望をもって忍耐できます。【79節】
エホバの地上の代表者とは、基本的には、統治体とか世界本部の主立った監督たちのような、指導的な立場にある人たちを指しますが、一方、伝道者として世に対して証言するという意味で、多くの兄弟姉妹がエホバを地上で代表していると言うこともできます。
ですから、エホバ神の代表者としての試練は、大なり小なり程度の差こそあれ、すべての兄弟姉妹に臨むものです。もちろん、あなたにも。しかし、それを克服することによって、「とがのない」人となれます。そのような人は決して「恥をかくこと」はないでしょう。【80節】
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★エホバの立てた地上の代表者に対して忠実さを示すべき。
★たとえ不忠実な代表者であっても、盲目的に従ったり、また逆にせん越に退けてもならない。
★その代表者は必ず試練によって精錬される。
★支持者が一人もなく孤軍奮闘することもある。
★最後には、義人に祝福、敵対者には恥が臨む。
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★印は私の注解です。
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★エホバの地上の代表者が立てられる
73. あなたのみ手がわたしを造り,
次いで,わたしを固く定めました。
わたしに理解させてください。
あなたのおきてを学ぶために。
74. あなたを恐れるのは,わたしを見て歓ぶ者たちです。
わたしはあなたのみ言葉を待ち望んだからです。
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★その代表者は苦しみを忍耐する
75. エホバよ,わたしはよく知っています。
あなたの司法上の定めが義であり,
あなたが忠実さをもってわたしを苦しみに遭わされたことを。
76. あなたの僕に対するそのみことばにしたがって,
あなたの愛ある親切が,どうか,
わたしを慰めるものとなりますように。
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★代表者には憐れみがかけられ
77. わたしが生きつづけるために,
あなたの憐れみがわたしのもとに来るように。
あなたの律法にわたしは愛着を感じているからです。
★敵には恥が臨む
78. せん越な者たちが恥をかくように。
彼らはいわれもなくわたしを惑わしたからです。
しかしわたしは,あなたの命令を思いに留めます。
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★支持者がだれもいないこともある
79. あなたを恐れる者たちがわたしのもとに引き返すように。
また,あなたの諭しを知る者たちが。
★そのようにして、エホバの代表者は精錬され、潔白を証明する。
80. わたしの心があなたの規定のうちにあって,
とがのないものであるように。
わたしが恥をかくことのないためです。
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(注解)
この詩編は、恐らく王子の頃のヒゼキヤが作ったものであると言われています。いずれにしても、王宮のあるエルサレムで、君たちに迫害され得る若い人、多分、忠実な王子の一人には違いありません。(119:23, 99-100, 46)。
当時、エルサレムは、エホバ神の崇拝の中心地でした。そこを治める王は、エホバの王座に座しているとみなされました。(歴代第一28:5、29:23)。つまり、その王は、エホバの王権の地上の代表者だったのです。
この詩編作者も、王子で、かつ将来の王となる有力な候補であれば、それにふさわしい教育を受けていたはずです。そして、そこにはエホバ神の導きがあったと思われます。ゆえに、詩編作者は「あなた(エホバ)のみ手がわたしを造り、・・固く定めた」と言い得たのです。【73節】
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そのように、エホバの導きに従順に従い、教えられたエホバの地上の代表者(第一王子も王家を代表する人物。例えば、日本の皇室の皇太子と同じ)には、エホバの霊が働きます。(サムエル第二23:2)。そして、エホバを恐れる者であれば、この詩編にもあるとおり、そのような指導者を「見て歓ぶ者たち」となるでしょう。
ここから分かる点として、エホバが立てた地上の代表者に対する私たちの態度は、私たちのエホバへの専心の思いを反映するということです。私たちがエホバに忠実な者であるとみなしていただくには、その立てられた代表者にも忠実でなければなりません。(マタイ25:45)。
ただし、ダビデ王朝の歴代の王たちの中には、不忠実な王もいました。そのような王に盲目的に従うべきではなく、むしろ、預言者たちはそのような王を戒めました。(サムエル第二12:1-12、エレミヤ38:14-18)。ですから、ただエホバが立てた代表者であるというだけで、何でも盲目的に従うのは間違いです。(ガラテア2:11-14)。
とはいえ、そのような不忠実な王であっても、やはり現状、エホバが立てておられる代表者であるゆえに、敬意は払わなければなりません。つまり、その不義な行ないには倣うべきではありませんが、一方で、エホバがある目的をもって依然として立てておられるそのような代表者をせん越に退けても、また見下すようなことがあってもなりません。(サムエル第一24:6、ヨハネ11:51-52、マタイ23:1-4)。
そのような場合、霊的バランスをとるのがとても難しく感じるかもしれません。しかし、エホバはそのような忠実な人を顧み、そのような不忠実な代表者の下でどのように思慮深く行動すべきかをお示しになるでしょう。(列王第一18:3-4の文脈を参照)。
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さて、そのようなエホバの地上の代表者は必ず試練を経験し、精錬されます。その試練の意義については、先回の「65から72(テート)についての注解」で詳しく説明しましたので、そちらをご参照ください。
いずれにしても、詩編作者と同じように、「わたしはよく知っています。・・・あなたが忠実さをもってわたしを苦しみに遭わされたことを」と言えるようでありましょう。そうすれば、その試練を克服する時に、私たちは益を得ることができます。そして、エホバを地上で代表して、世に対して伝道するにふさわしい者とされるのです。【75-76節】
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そのようにして、義人が試練を克服する時、起きることはいつも決まっています。義人には「憐れみ」、是認、祝福が与えられ、一方、敵対者は「恥」、敗北、挫折のうちに悲嘆することでしょう。【77-78節】
しかし、その結末に至るまではかなりの行程があり、中には、自分を支えてくれる(人間の)支持者が一人もいない、というような孤立した状態で、ただひたすら忍耐しなければならない時期もあります。(ヨブ6:15、詩編38:11、列王第一19:10、エレミヤ15:17、マルコ14:50)。この詩編作者もそうだったようです。しかし、そのようにして一時的に離れていった仲間たちもやがて「引き返す」ようになるでしょう。希望をもって忍耐できます。【79節】
エホバの地上の代表者とは、基本的には、統治体とか世界本部の主立った監督たちのような、指導的な立場にある人たちを指しますが、一方、伝道者として世に対して証言するという意味で、多くの兄弟姉妹がエホバを地上で代表していると言うこともできます。
ですから、エホバ神の代表者としての試練は、大なり小なり程度の差こそあれ、すべての兄弟姉妹に臨むものです。もちろん、あなたにも。しかし、それを克服することによって、「とがのない」人となれます。そのような人は決して「恥をかくこと」はないでしょう。【80節】
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★エホバの立てた地上の代表者に対して忠実さを示すべき。
★たとえ不忠実な代表者であっても、盲目的に従ったり、また逆にせん越に退けてもならない。
★その代表者は必ず試練によって精錬される。
★支持者が一人もなく孤軍奮闘することもある。
★最後には、義人に祝福、敵対者には恥が臨む。
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